10年経って思い出す野麦峠と160km離れた河の惨状
10年経って思い出す野麦峠と160km離れた河の惨状
5泊の予定で木曽の山の中、乗鞍岳の中腹にキャンプに行ったときだ。着いて段取りを終えたごろから雨が降り出し、一晩中雨が降り続き翌日も朝から雨だった。キャンプに行って雨に降られるということは、別にめずらしい事ではないし、今までだって当たり前にあったことだ。外遊びが全く出来ないと言うだけの事で、まあ二日目でもあるし自分にとって良い骨休めだとのんびりしていたのだが、一向に止む気配が無い。足元に雨水がたまりだしその処理に追われ始めてしまった。
家で練った野麦峠に行くプランをいつ実行しようかと考え、カーラジオで天気予報を聞こうとラジオをつけたが、どうも思わしくない天気が続くと言う事だった。既にキャンプ場は前日からの大雨でぬかるんでいたし、絶え間なく降り続く雨にうんざりしていた。何回目かのラジオをつけた時、臨時ニュースを流していたのだが、雨音で消されてよく聞き取れない。クロ?川でおぼれた。中洲に取り残されてしまった。? 等すぐには理解できなかったのだが、繰り返し速報が出て、大変な事態になっている事が少しずつ分かってきた。
何と言ってもこの時の雨は大変で、こんなに長時間キャンプ場に缶詰にされるとは思っても見なかった。映画で知って行ってみたいと思っていた野麦峠は、ちょっとした雨の止み間を見つけて行ってきたのだが、木曽は山の中とはよく言ったもので、この山深いところにも人々の生活があり、ここから群馬の製糸工場まで歩いたのだと感心させられた。だって目茶苦茶距離があるんだよ。
ほとんど雨だったその夏のキャンプを終え帰路に着いたのだが、私は川原でのキャンプはしたことが無く、非常に臆病で川原で寝るということが出来ない。寝ているうちに水が来たらという恐怖心が先にたって駄目なのだ。里に下りてきて玄倉川の映像を見て、何でこの事態になる前に、逃げなかったのかと不思議でならなかった。雨が降ったときの川の勢いを思い知り、人は自然には絶対逆らえないものだと改めて肝に銘じ、以来思いを新たにキャンプをしている。