やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

表現の自由か挑発か!?

表現の自由か挑発か!?

 この事は書こうか書くまいか迷った挙句、今日になってしまいました。直接的な書き方よりも例を示した方が、分かりやすいのではないのかと思い、小さな頃の自分の身に起きた事を書く事にしますが、終着点が見え隠れする今の私にして身が震える事でした。

パリの街・デモ

左が幼い頃の私とセイちゃん

 私の両親は二人の子を生しながら、何が気に入らなかったのか幼い子供を其々に分け、四歳十カ月違いの弟は母親の元に残り、七歳の私は父親に引き取られました。父親へは間もなく後妻が来るのですが、私の存在を知りながらの再婚だったのです。ほどなくして私と後妻の間に確執が生まれ、麻雀好きの父親に当てつけるように、私に対して辛く当るようになります。

 真夜中熟睡している私をたたき起し、麻雀している父親を迎えにやらせたり、爪で頬っぺたに残る傷を付けたり、気に入らない事がある毎に食事をぬいたり、私の身体の個性特徴を蔑む言葉は日常で、度重なる(お前など飼ってやっているんだ。)と言う犬や猫、牛や豚と同じ扱いの暴言暴力も、悲しい事に慣れっこになっていました。

 朝食前に財布の金が足りないと言うのです。疑惑は通学前の私に向き包丁の峯で私を叩きながら、泥棒の子は泥棒だと言うのです。挙句に出勤前の父親の前で私の母親を蔑み、罵倒し始めたのです。初めて聞く話でしたが、母親を侮辱した言葉に完全にぶち切れていました。私自身心の片隅に母親には捨てられたとの思いもあって、好きではありませんでしたが、他人に侮辱された事が引き金になって心と体に火が付いたのです。殴り倒し蹴っ飛ばし踏んづける等めちゃくちゃをやり、自分を侮辱されるより何倍も腹が立ったのです。父親も何か思う所があったのでしょう。殴りつけながら目の片隅に父親の姿を追うのですが、止めに入る訳でもなく怒る事も無く黙って見ていましたから。

 幼い頃(九歳~十歳)に食事を抜かれ、大人(親?)に頼るしか術のない子供はどうすればいいのでしょう。唯一頼りの父親は自分優先の麻雀ばかりで、表だって私に関心が向く事はありません。それでも頬っぺたの抉られた傷には関心を示し、どうしたかと尋ねるのですが、父親に言う事は金輪際ありませんでした。金曜の夕飯から抜かれた食事。土曜日は給食が無かったので終日絶食になり、まったく動けなくなるのです。お前みたいな歳の子が、こんなに食わずにいられる訳がないと、平然と言ってのけ日曜の朝を迎えます。

 日曜の朝食の時には家にいた父親に、ちゃんと育てているのだと見せなければならず、しぶしぶ私の食事も用意するのですが、父親の背中越しにあからさまな態度を見せるのです。その後、私は後妻の財布から金を抜いたり盗みに走り、それで己の腹を満たし始めるのです。幼い子供を兵糧攻めにして何が楽しかったのか、やられた方はそれを忘れる事が出来ず、頬っぺたの傷は治り目立たなくなっても、心の傷は未だ癒える事が無いのです。追い詰められれば人は何をするか分かりません。それは誰でも同じだと思います。

 一連のフランスで起きた事件は、人を侮辱したり文化の違いをないがしろにしたり、自分の価値観を無理やり押し付けたり、他人が大事にしているものを壊しませんでしたか。ましてや自分が崇拝する対象を、価値観が違う人間が侮辱したと感じさせたのです。私のように母への思いが強くなくともそうだったのですから、思いが強い人だからこそ反発も強かったと思います。この出来事を肯定するものではありませんが、発信する側も嫌がる相手を思いやり、宗教の違いに思いを馳せれば今回の事件も無かったものと考えます。

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