やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

人情話 文七元結

人情話 文七元結

夜寄席

 初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した人なのだが、今から110年程前に亡くなっている。この人のオリジナルで未だに三遊亭門下では噺継がれている人情話がある。圓朝は歴代の名人の中でも別格扱いされる程噺がうまかったと言われ、あまりの噺の巧みさに師匠の2代目圓生から嫉妬され、妨害を受けたようだ。寄席にはネタ帳というものがあり前座、二つ目が書き込んでゆき、前の演者たちが何を演ったか分かるようになっていて、重複して演ってはいけない事になっている。(後から来た演者はネタ帳を見て、その日の演目にないものを演るわけだ。)

ネタ帳

 そこで圓朝が演ずるであろう演目を師匠圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくす妨害工作をしたようである。そこで圓朝は自作の演目を口演するようになり、それをきっかけに多くの演目を創作したが、三遊派で人情噺ができないと真打にしない言わしめるきっかけとなった噺が、圓朝自作の二作、芝浜と文七元結のことなのだ。

 その中でも文七元結は1時間にも上る大作で、抜きん出た技量を必要とされている。文七元結に出てくる登場人物に悪人がいないのが特徴で、全員が善人なのだ。また当時薩長連合の田舎侍たちが江戸の町を闊歩するのを、快く思わなかった圓朝は、江戸っ子の気風、心意気を誇張した噺に仕上げた。

 この噺は映画風に言うと原作も良くて脚本も良い、人情話と言いながら所々にくすぐりが入り、上手い人が演れば絶品の噺である。歌舞伎等でも演目として取り上げられ、演じ続けられているが、それだけに演者の巧みさが試されて観客としても、泣けるかそうじゃないかは噺家次第というところだ。

 古今亭志ん朝が亡くなってから、落語を聞きに行く事も無くなったが、CDもDVDも出ているので聞くのであれば、皆さんには一ファンとして志ん朝版をお勧めしたい。噺の中に出てくる吉原の大店の名前は角海老樓だが、古今亭志ん朝版は佐野槌になっている。古い話故それぞれの演者が自分に合わせて脚色したと思われる。

文七元結.jpg

 腕の良い左官の棟梁長兵衛は、博打にうつつを抜かし、今ではすっかり貧乏を味わっている(志ん朝の父親、志ん生の言い方だ。)。 今日も賭場へ出かけ着物まではぎ取られ、半纏一枚で家に帰ってきたが、家の中は真っ暗闇。 明かりも点けず、女房のお兼がひとり塞ぎ込んでいる。 お兼は娘のお久が出かけたまま帰って来ないと話し、長兵衛の身持ち放埒に愛想を尽かし、お久が家を出ていったのだと愚痴るのだ。 そこへ得意先である吉原の大店、角海老の手代藤助がやって来る。藤助はお久が角海老に来ていると告げ、長兵衛と話をしたいという角海老の女将の言葉を伝える。これを聞いた長兵衛は、お兼の八ツ口の開いた着物を剥ぎ取り角海老へと向かうのだが。 長い噺なのでサワリだけで申し訳ない。

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