やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

山で最期を迎えたい

山で最期を迎えたい

タイトル

 自分自身何も知らなくても世の中は当然のように流れていっている訳で、ちょっと古い話で恐縮するのだが、去年の2月頃だったと思うのだが同窓生より突然電話をもらい、私の住む地域の放送局で、おそらく最後になるだろうドキュメント番組の再放送をするので、録画をして欲しい旨の依頼があった。私は大分前よりテレビ番組を見なくなっていて、見るのは日々のニュース位になっていた。前はドキュメンタリーも質の良い放送もあったのだが、それらも無くなって積極的に見るテレビ番組からは遠ざかっていたのだが。

FAX

 私は聞いたことも無い題名だが、何度となくそれぞれの地方で放送されてきた、大変質の高い番組だという。内容は夫婦の17年間にわたるドキュメンタリーで、娘に頼まれたと言う事だったが、親に見せたかったのではないかと思う。私自身興味もあり引き受けたところ、早速FAXが届いて、放送日時、時間帯が記されていて、差出人が娘さんだったのだ。自分自身こうありたいと思ったのか、親にこうであって欲しいと願ったのか定かではないが、感動的なドキュメント番組であった。
 

番組のタイトルバック

 田中寅夫さん(93歳)、フサ子さん(88歳)。山口県、中国山地の山奥に、ふたりの山はありました。 終戦から間もない頃、復員した寅夫さんはフサ子さんと一緒にふるさとに近い山を買い、夫婦で切り開きました。「食べてゆくだけのものは、自分で作りたい」。自給自足の生活です。そこで3人の娘たちを産み育て、親兄弟を呼び寄せ、貧しいですが賑やかな日々を送りました。

 高度経済成長期に入った頃、娘たちの将来を考えて家族で大阪へ出ました。しかし夫婦は還暦を過ぎると、都会の生活を捨て、また不便な山に戻ったのでした。「自分らしく老いてゆきたい」それが理由でした。 電気も水道も通っていない、山奥の小屋住まい。何の気兼ねもないふたりだけの生活が続きました。

 夫婦には大阪で暮らす3人の娘たちがいました。「山を下りて欲しい」「大阪で同居しよう」と娘たちは言い続けました。寅夫さんとフサ子さんは拒み続けました。しかし少しずつですが、ふたりは確実に老いてゆきました。 時が、経ち、90歳に近づいてもなお山の暮らしにこだわり続ける両親を見て、3人の娘たちの気持ちは変化していきました。娘たちもすでに孫を抱える年齢になり、親たちの生き方を受け入れ、背中を押すようになったのでした。

 夫の寅夫さんは病に倒れてもなお、山に執念を燃やしました。信念を貫こうとする親と、支える娘たちの生活が続きました。 「いい人生の歩き方を教わった」「自分たちもそう生きたい」「親から生きる力をもらう」という娘たち。親と向き合い、親を看取ることで、自らの生き方と向き合いました。

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