やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

おっさんの、追っかけ

おっさんの、追っかけ

古今亭志ん朝展

三代目三遊亭金馬・山藤章二画伯

 私は幼い時分から落語を聞いて育ち、その中でも声を聞いただけで直ぐに分かった、三代目の三遊亭金馬が大好きだった。当時ラジオから流れてくる噺が面白く熱心に聴いていて、がらがら声だが発声が分かりやすく、しっかりとしたメリハリがある噺方で、幼い私にも理解しやすかったからだ。ラジオは私の手の届かない所に置いてあり、幼い私が自らラジオのスイッチを入れ、ダイヤルを合わせる事も無く、祖父母が聞いていたものを一緒になって聞いていたようだ。

 時が移って私が日々の糧を得るべく在籍していた会社に、同世代の大学生アルバイト達が大勢いた。その中の1人は話すと面白く、私とはすっかり打ち解けて、彼女の話から、学校での様々な出来事、将来はどうするか等、青春ならではの青臭い話をしていた。だが、その内ひょんな事から家業を継がなくてはならない話になった。それは今でも営々と続いている寄席で、木戸銭無し(ロハ、古い言い方だ)で入れるから遊びに来いと、落語が好きな私には願ったり叶ったりの話だった。子供の頃好きだった三代目三遊亭金馬は鬼籍に入り、若手の中では古今亭志ん朝が頭角を現していて、私の好きな芸風になっていた。

 先の理由で寄席とは縁が深くなり、その頃、既に家業を手伝っていた北○郁○君(現席亭)に、俺の結婚式に一席お願いしたい。ついては古今亭志ん朝さんが希望なのだが、仲介してくれないかと、現カミさんと二人で新宿まで行って頼んだのだ。今考えると無鉄砲な話で、一番の稼ぎ場所は結婚式とか地方回りだったのだ。真打ちを呼ぶと高いから止せ、二つ目だったら話してやると言われたが、古今亭志ん朝が頭から離れず断念した。
 
 亡くなる数年前になると思うのだが、この町の文化会館に古今亭志ん朝がやってくると言う。私は大喜びで聞きに行くのを楽しみにしていた。この当時の私は引退したら、志ん朝の追っかけをすると宣言していた。カミさんが人気のチケットを探し回って、前から二列目をゲットしてプレゼントしてくれたのだ。嬉しかったねー、ハグしたい気分だったよ。具合が悪い噂は聞いていたが、古今亭志ん朝は亡くなり、私は残念ながら追っかけ回す相手を無くしてしまった。

 古今亭志ん朝(ここんてい しんちょう)は、江戸噺家、古今亭の名跡になっている。 3代目の死去で現在は空席。3代目は名人の誉れ高く、志ん朝の名跡を大きくしたため、一般的に志ん朝と言えば3代目を指す。

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