若い時の苦労は
若い時の苦労は
先人達は『若い時の苦労は買ってでもせよ』と言う。本当にそうだろうか。私には要らぬ苦労はしない方が良いと思った事が沢山あった。何事かを目指して自らやり遂げようとする事があり、片方は山あり谷あり険しい道なき道をを乗り越えなければならない。かたや広く平坦なハイウェイのようであったなら、皆さんはどちらを選ぶのだろうか。到達点が同じなら私は迷わずハイウェイを走るし、親が敷いてくれたレールがあるなら有り難く私はそれに乗る。簡単な一例だが、親の家にいるだけでも、住居費食費は免除になる場合があるが、一人で生きていく場合は全部自分にかぶってくる。食寝所(くうねるところと読んで)が先になり目指すところが霞むようになってくる。
世の中には、しなくて良い苦労が多くある。『若い時の苦労は買ってでもせよ』と本気で言える人は、私に言わせればそういう事とは無縁に生きてきた人の戯言だと思う。長くそこに身を置いていると心が荒み、当たり前のように気分が落ち込み、その内にやっと支えていた気持ちが、音を立てて折れてしまうのだ。同じ故事、ことわざだったら写真のようなことわざが私は好きだ。失敗だったら誰しもが必ずやるし、自分に全く責任の無い苦労を背負わされることも無い。失敗は人を成長させ他人を思いやる心を養うと言われるが、私は未だに引きずるものが多すぎて、その意味でも私はまだまだ道半ばだ。