やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

やんちゃ小僧と、おきゃんネーちゃん

やんちゃ小僧と、おきゃんネーちゃん

半世紀前の福島県、磐梯山

 現在、すぐ切れてしまう子供たちが増えているそうだ。ちょっとした感情の行き違い、他人と自分を比べての少しの違いにいらだつ子供達等、そして自身も切れて警察にすぐ連絡してしまう先生、今の先生と昔の先生何が違ってしまったのだろう。今、色々な言われ方をしているが、そんなことは繰り返し来る浜辺の波のようなもので、こと子供に関しては今に始まったことでは無い。今の子供たちは我慢することを知らない等とも言われているが、これも我慢すれば良いと言うものでもなく、ある程度抑制の効いた怒りならば、適度に発散させた方が大事にならなくて良い様に思う。

 第一、子供達ばかりの問題ではない。そこには確実に大人も絡んできているものだ。親と言う存在はすべてが子供の理想通りの親とは限らない。親になること事態不適格な人もいるのに、それでも親になってしまうのだ。愛情豊かに育てられた子供は、理想中の理想の姿ではあるが、大人にはそのかけらさえも見出せない、自分の感情の赴くままに身近にいる子供にぶつけて、自分はそれでも大人で御座いと言う身勝手な人間もいる。この様な事を子供たちは理不尽だと思いながら、身近な大人達の言動を見て良くも悪くも自分の行動に反映させる。

 私のその時分は今より半世紀も昔の話だが、その真っ只中にいて、毎日の大人との確執にうんざりして、与えて貰えないものは代替品を探すようになったものだ。今何かと言うと登校拒否とか、引きこもり等と言うことが問題になっているようだが、振り返って私などは学校に行っている方が、ある意味心の安らぎがあって、不登校とは無縁の時期ではあった。子は親を選べない。成長途中の子供は親の愛情と言う薬が一番で、絶対に欠かせない処方箋なのだ。ゴマ粒ほどの薬で強力に効く人間もいれば、なかには特効薬を処方されている事さえも気が付かない愚か者もいるのだ。

 学校行事で数度登山をしたのだが、今考えると先生たちも大変だったと思う。今のように山の中腹まで車で行って後は登るということではなく、麓より早朝暗いうちに一泊した宿を出てひたすら登って行くのだ。断崖もあれば落石地帯もある所を大勢の、やんちゃ小僧と、おきゃんネーちゃんを引率して行くのだから、今考えると並大抵の苦労ではなかったと思う。でも、お陰で未だに記憶に残る素晴らしい思い出になっていて、いやな思い出がたくさん詰まった旧皮質が活発になる歳になって、楽しかった一つに感謝感謝である。写真は吾妻山より見た磐梯山とその左が猪苗代湖で、手前に見えるのは秋元湖。

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