やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

新聞に載った身近な話題。芝山仁王尊

新聞に載った身近な話題。芝山仁王尊

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 何度かこのブログに登場させているのだが、当町には古刹があってこの町の人口比率、規模からいったら非常に大きく、風格、重厚さを考えたら、鎌倉とか京都にそのまま持っていっても違和感のない佇まいに思える。

 私自身、無信心論者に近いものがあるため、一年の区切りのような時にしか、お参りする事もないのだが、改めてマスコミに取り上げられると妙に嬉しくなり、昨日に引き続き新聞ネタを書くことになった。

 寺そのものの歴史等は詳しく知る由もないのだが、この町に越してきた時から規模的には不釣合いな感じはしていた。改めて記事を読むと、なるほどと納得させられる内容で、自身も少しずつこの町に根を強く下ろしていくのだろうか。

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 成田空港から南へ車で15分。小高い丘の上に芝山仁王尊観音教寺はある。奈良時代創建とされ1200年余の歴史を持つ。江戸時代には幕府から10万石の格式を与えられ、「火事と泥棒よけの仁王様」として庶民の信仰を集めた。門前には旅館も立ち並んだという。長い石段を上り、巨大なわらじがぷらさがる仁王門の前から周囲を見渡す。住宅も人影も見あたらない。古刹にしてはあまりにも周囲が寂しすぎる。

 そんなことを考えていると、航空機が轟音とともに通り過ぎていった。機体の腹の部分がくっきり見える。住職の浜名徳永さん(81)が「ここは飛行コース直下。住民の大半が移転したんです」と教えてくれた。30年以上前、空港反対闘争が盛んだったころは檀家も賛成・反対2派に分裂。同じ集落の住民同士もお互いに口をきかなくなった。寺は巻き込まれなかったが、浜名さんは心を痛めた。対立の融和を後押ししたのははにわだった。

 芝山町や横芝光町周辺には日本有数の古墳群がある。1950年代、浜名さんは寂れた寺の再興に役立てようと、早稲田大学と協力し、多数のはにわや銅器を発掘した。「発据遺物を置きたい」と境内に「芝山はにわ博物館」を設置した。現在、約150体が陳列されている。帽子をかぶって手を挙げる農夫、耳飾りをぶら下げた女性……。土器に穴を開けた単純な顔形だが、どれもみな素朴で穏やかな表情だ。甲冑に刀を差した武人姿もあるが、垂れ目で、猛々しさよりも愛くるしさが漂う。

 「この地から出土したはにわは先祖の顔だ。同じ先祖を持つ子孫同士が争ってはいけない」。浜名さんは仲間らと両派を説得して回った。そのかいあって82年、古代人の格好をして町内を練り歩く第1回「芝山はにわ祭」が始まった。「祭りを通じて少しずつ対立が緩和していった」と浜名さんは振り返る。寺の近くに鉄道はない。駅の目の前にあって門前町がにぎわう隣町・成田市の成田山新勝寺とは対照的だ。比較されることもあるが、浜名さんは気にしていない。「『和をもって貴しとなす』とした古代人の心を伝えるはにわこそが他の寺にない財産。外国人にも味わってもらいたい」

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