やんちゃ親父の独り言。更新の間隔を適当に空けて、勝手気ままな事を書いているコーヒー好きのブログです。よかったらお付き合いください。

桜田門外ノ変 ☆☆☆

桜田門外ノ変 ☆☆☆

いつの世にも政治に対する不平不満の種は尽きず、どちらの側も対抗手段として暴力に訴え解決を試みる。やられたからやり返す、人はそれぞれの思惑で考え、行動するから故の事なのだろう。今の日本では表立って見る事のなくなった政治犯、思想犯を弾圧した、江戸時代末期の権力者、井伊直弼を襲撃した人達を描いたものだ。見る立ち位置でその人物の評価はずい分変わってくるとは思うが、自分の意思に反する考えを持っている様々な人達を、権力に物を言わせて弾圧したのも事実だが、反発を買い暗殺されてしまったのも事実なのだ。

映画 桜田門外ノ変

 今から150年ほど前の出来事だから、そんなに古い話ではなく、名前、年齢、生まれた土地等、資料も数多く存在している事だろう。何はともあれ無残な結果が残り、襲撃側の水戸浪士も凄惨を極め、その場で闘死、もしくは自刃しているが、生き残った人達も藩主との思惑の違いから、自らの故郷を追われ捕らえられていく。形ばかりの裁判の後、武士としての切腹も無く斬首刑になってしまう。その中、いきさつはともかく天寿を全うした者は2名だけで、その内の一人は、明治を生き抜き大正期に80歳で亡くなっている。

襲撃

 一方、井伊直弼の彦根藩は本人は首をあげられ、藩主を守ろうとして果たせず即死した者4名、深手で藩邸に運ばれ、その後に死んだ者3名となった。彦根藩の裁定は、死亡者の家には跡目相続が認められた反面、藩主直弼の護衛に失敗し、家名を辱めたとして、足軽以上、無傷の者は全員が斬首・家名断絶となり、処分は本人のみならず親族に及んだ。軽傷の者は切腹、重傷者は下野国佐野(栃木県佐野市)に流され揚屋に幽閉される事になる。井伊直弼独裁政治の結末は双方に悲惨な結果となった。

片道600mの道のり

 彦根藩邸『現、憲政記念館』から桜田門まで直線で600mあまり、映画の中では小走りだが、行列を作っての移動は時間にすると10分位のものなのか。なるべく遠くで襲う事で、藩邸よりの助っ人を断ち切ったようにも見える。史実では徳川尾張家がこの後に続いていたようで、惨劇の一部始終を見ていたのか。最後に苦言を一言。映画、映像として雪の中の血は映えるからかもしれないが、切った時の血は吹き出すにしても、自刃で刺したままの時は血は吹き出ない筈だ。血が派手に吹き出しすぎて、とても違和感を覚えた。

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